旧作考察『ゴッドファーザー PART IV』幻の映画が公開されていたら

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映画史に残る『ゴッドファーザー』シリーズの4作目のアイデアがあったのは有名な話。

フランシス・フォード・コッポラ監督と原作者のマリオ・プーゾはある程度の話の軸を完成させていましたが、プーゾの死去後、コッポラは「シリーズをこれ以上続けるつもりはない」と述べ、企画を断念しています。

そんな幻の映画『ゴッドファーザー PART IV』はどのようなストーリーが考えられていたのか振り返りながら、もし実現されていたらシリーズがどうなったか考察してみたいと思います。

この記事はネタバレ前提で進みますので、作品を観ていない方などネタバレを回避したい場合はご注意ください。

目次

公開されている『ゴッドファーザー4』の構想

フランシス・フォード・コッポラ監督と原作者マリオ・プーゾは、『パート4』について脚本の検討を行っていました。

構想では、2部構成でドラマを展開する予定だったとされます。

  • 1930年代の過去パート:若き日のヴィトー、ソニーらが台頭し、政治や裏社会でCorleone一家の基盤を築く描写。
  • 1980年代の未来パート:アンディ・ガルシア演じるヴィンセントが一家の頂点に立ち、メアリーの死に悩まされながらドラッグ戦争に一家を導き、最終的には権力と尊敬を失っていく流れ。
  • 最後には、孤独な老マイケル・コルレオーネとの再会というシーンも描く予定だったと言われています。

ゴッドファーザー PART III(以下、パート3と表記します)』ではマイケルの長男アンソニーが家業を継ぐことを拒否してオペラ歌手の道に進み、そのデビューの日に観劇に訪れた帰りにマフィアに襲われマイケルは負傷、長女メアリーは死んでしまいます。娘を失ったマイケルは絶叫し、それから十数年後、シチリアで追憶と孤独の中、死んでいくという話なんですが、パートIVが実現していたら死ぬ前のマイケルとヴィンセントが再会を果たす設定だったのかもしれません。

GQのインタビューで、アンディ・ガルシアは「パートIVのアイデアをコッポラから聞いていた」と語っています。さらに、レオナルド・ディカプリオを若きソニー役に起用する案もあったと明かされています。

コッポラ自身も「4作目の構想はあったが、パラマウント側が前向きでなかった」と明言しており、マリオ・プーゾが亡くなった1999年を機に企画が凍結されたことを語っています。

『ゴッドファーザー4』が実現されていたら

ここまでの構想を確認する限りは、パート3に紐づいている内容が多く、物語がより強固に完結できていたかもしれません。

パート3ですでに示されていた「組織の衰退」と「家族の崩壊」を過去と未来の構成で隙間を埋めるように展開していくことで、パート4はより明確かつ救いのない形で描かれた可能性もあるかと思います。

これはパート2で行われた手法であり、「パート1」と「パート2」で一つの物語、そして「パート3」と「パート4」で一つの物語、と区切ることもできた気がします。

ただ前半の2部作よりも明らかにダークな展開となる可能性もあるので、映画としてできてもコッポラが当時から語っていたように「観客に媚びない」方向で作られれば、興行的にはリスクが大きく、批評家受けしやすい傾向だったかもしれませんね。

2020年にはパート3を『ゴッドファーザー〈最終章〉:マイケル・コルレオーネの最期』と改題して再編集しており、この評価が高いことから無理にパート4を作らなくてもよさそうな風潮にはなっています。

もしパート4を作ってしまったら「家族の崩壊」に終止符を打ってしまい兼ねないのかもしれません。

まとめ

『パート4』が作られていれば、シリーズは「家族と権力の栄枯盛衰を描いた、より壮大で陰鬱な四部作」として語り継がれたはずです。

興行的な成功は未知数ですが、映画史における位置づけはさらに特別なものになった可能性が高いのかなと感じます。

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この記事を書いた人

映画・海外ドラマ考察大好きな人。考え始めると止まらなくなってしまう人。あらゆる可能性があるほど、いろんな意見を見るほど読み込んでしまう人。主にアメコミ系などの洋画や海外ドラマが中心ですが、基本的には洋画・海外ドラマ好きな人です。

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